「考えるとむづかしくなる また考えるとやさしくもなる 書くしかない」と師・明石春浦は言った。とにかく書かなければどうしようもないってこと。書くには墨も紙も筆もいる。しかもこれらはすべて消耗品。使えば無くなるのである。コロナ禍で日本に行けなくなってからというもの私の紙のコレクションは100反(10000枚)から25反(2500枚)に激減した。この調子でいくと後4か月足らずで底をつく。私が使っている紅星牌綿料単宣及び綿連は中国製でロットによってはものすごく品質にばらつきがある。詳しくはここでは割愛するが、わかりやすく言うと厚すぎたり、ざらついたり、墨ばかり吸って書きづらかったりである。そんな中、特に気に入ったものだけを間引いてはコツコツ100反ほど集めたのだが、当然書けば無くなる。紙は重く、そしてかさばるので郵送料がバカにならない。4月半ばから日本郵便が止まったままなので(いつまで止まっているつもりか)一度UPSで送ってもらったら20反で10万円近くした。お金を出せば手に入るのだが、これはまさしく日本への飛行機代が出てしまう金額である。今までの普通が普通で無くなった今、私たちの生活はまるで戦時下のようだ。我慢、我慢の連続である。さて、紙が無くなるのが早いか、コロナ終息が早いかが私の一番の心配事であるが、家人はというと「お正月の用意」が一番心配なのだそうだ。高い料金を払ってもUPSでは食料品は送れない。毎年家人の実家からの愛の宅急便(EMS)が頼りだった我が家のおせちは一体どうなるのであろうか。白頭鷲よ、せめて「丹波の黒豆」くらいは運んで来てはくれまいか。