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第66回毎日書道展①

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なぜか私が日本を訪問すると最高気温が更新され、一時的に円高(今回も私がアメリカに戻ったら1円も一気に円安になった7/29現在)になる傾向がある。暑さと円高は密接なる関係が?と、疑いたくもなる。悪いことばかり重なるのだ。
出発前心配していた27日の作品解説ツアーには8人もの参加者を得、主に審査会員の作品を観て回った。中には目を疑いたくなるような紙の汚れ(裏から浮き出てきた指押さえの跡)や墨の色(優艶とはほど遠い真黒な液墨)に目をそむけずにはいられない作品もあったが、その多くは秀逸であった。各々の方向性の違い、隠せない個性が溢れ出し、2尺8尺と公募作品規定とは違い縦が2尺伸びた大作を前にいつもより皆数歩下って鑑賞、そしてぐんと近寄って線の妙技を堪能した。
入選作展示会場(東京都美術館)と日程がずれていた今年、新国立美術館でのツアーを心配していたが杞憂に終わった。明藤書道会からの3点の入賞作品や無鑑査会友作品もすべて鑑賞し終えた午後3時半、祝賀会会場となる目白「椿山荘」へ移動した。

4枚目は毎日書道展審査会員昇格に際してのスピーチ中。全文はこちら。「アメリカはワシントン州シアトルから、サンフランシスコ経由で約14時間のフライトで日本へ戻ってまいりました藤井良泰と申します。年間で私は約70回飛行機に乗り、アメリカ国内はもとよりこうして日本へと活動しております。 1991年、私は師である明石春浦先生より「アメリカで2、3年修行して来い」、との命を受け渡米いたしました。その5年後先生は他界されましたが、先生の強い願いであった「アメリカの地に根付いた書道の普及」のお言葉に背中を押されるように今に至り今年で丸23年が経ちました。そして私は50歳になりました。 異国の地で日本の本格的な書を指導すること、紹介することは皆さんが考える以上に難しいことです。道具を手に入れること、常に井の中のカワズにならないように、日本での書を肌で感じること。。紙一枚、 墨、筆、どこを探してもアメリカで手に入る満足なものなどありません。 言葉の壁、などは大きな問題ではないのです。文化の異なる人々にどうすれば心に響く指導ができるか、そして私自身が常に学ぶ心を忘れないように、と今までの23年間歩んで参りました。 この度の毎日書道展審査会員の名を受け取りましたとき、まずは天国の明石春浦先生にご報告しました。先生はきっと喜んでくださり、これからも私を見ていて下さると信じております。それから、アメリカの地で私と共に明石春浦先生のご意志を胸に活動する我が弟子たちも喜んでくれました。この先も共に一緒に書の稽古に励み、書の普及に積極的に取り組んで行ってくれる同士として大変心強く思います! 明石春浦先生が与えてくださった私にしかできない書の道を今後とも精進して参りたいと思います。」

写真手前に映っている紳士は玄和書道会の三浦士岳理事長。二次会の後、ホテルのラウンジでばったりお会いし、しばし台北故宮博物院展の話に。